「スポーツ」でもあり、「遊び」でもあるものというのは、サバイバルゲーム以外のものに目を向けてみれば、意外にいろいろと思い当たるものがある。日常的なものの一つとしては、ボウリングがあるだろう。オリンピックの正式競技でこそないが、プロリーグがありプロ選手がいて、大きな大会ともなれば大勢の観客が集まるし、TV中継されることだってある。ボウリングの入門書みたいな本は、本屋に行けば「スポーツ」の棚に置いてある。ボウリングを「あんなもの、スポーツではない」と言う人は、そんなに多くはないんじゃないだろうか。
だが、大多数の「普通の」人にとってのボウリングといったら、放課後だとか、飲み会のついでだとかで、みんなで集まって楽しむものというイメージが強いだろう。スコアを上げるためにコーチについて狙い方や投げ方を習ったり、難しいスプリットをクリアする練習のために左右の端っこのピンだけを延々と狙い続ける練習をしたり、なんて人はけっこう珍しい部類に入ってしまうんじゃないかと思う。

Photo : antjeverena(Flickr)
なぜサバイバルゲームばかりが「スポーツか、スポーツではなくて単なる遊びなのか」という論争がたびたび巻き起こるのか? スポーツという言葉に対するイメージ、「スポーツとは、こんな感じのものでなくてはならない」という思い込みのようなものが、相当に根強く多くの人々の間に染み付いているからじゃないかと思う。